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39件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1984-07-17 第101回国会 参議院 外務委員会 第12号

主としてロンドンのサミットの話と、それから韓国大統領の訪日の問題でお聞きしたいと思うんですが、その前にちょっと余り耳寄りな話じゃないんだけれども聞いておきたいんですが、よく外交については、古い話では吉田外交とかあるいは石橋財政であるとか、あるいは鳩山外交とか池田財政とか、ずっと古くは松岡外交とか幣原外交なんていろんな名前のついた呼び方があるんですが、キッシンジャー外交なんといっても何となくわかるような

八百板正

1957-11-02 第27回国会 衆議院 本会議 第2号

去る二十六国会において、わが社会党が、岸内閣に対して、石橋財政は重大なる経済危機を内包するがゆえに一応予算案を撤回し再提出すべきことを口をきわめて要求したことは、岸総理といえども記憶に新たなるところがあろうと思うのであります。(拍手)しかるに、岸総理は、貯蓄に見合った均衡予算であると強弁をいたし、それを無修正で踏襲し、今日の経済混乱を招いたのであります。

勝間田清一

1954-12-16 第21回国会 衆議院 貿易振興に関する調査特別委員会 第3号

今澄委員 大体私この民主党内閣危機石橋財政方針と一萬田さんの衝突にあるだろう、かように期待をいたしておるわけであります。今のあなたの御答弁を開いて、大蔵大臣に対する質問の資料ができたことを感謝します。  もう一つお聞きしたいのは、中ソ貿易の話ですが、石橋さんも御承知のように、いかに中ソ貿易、中ソ貿易言つても、具体的な措置がとられておらないとどうにもならない。

今澄勇

1954-03-12 第19回国会 参議院 予算委員会 第11号

昨日も大蔵大臣がとにかく今の吉田内閣におけるところの石橋財政から小笠原財政に至るまでこの信念のない、一貫性のない、見通しのないところの財政であるということを批判いたしましたときに、小笠原さんはその時の情勢に応じてやるのだと言つて放言しておりますが、少くとも一国の予算というものはこの憲法の第八十六条において規定されているように、「内閣は、毎会計年度予算を作成し、国会に提出して、その審議を受け議決を経

戸叶武

1954-03-11 第19回国会 参議院 予算委員会 第10号

これと日本吉田内閣の第一次石橋財政から小笠原財政に至るまでの歴代の失敗の跡を見ると、やはり西ドイツが早く立ち直り、日本が今のような青菜に塩のような状態に追い込められるのは当然だとこれは思うのです。で、小笠原大蔵大臣の今度の国会劈頭における懺悔演説自己批判、これは相当厳しいものでありますが、それに対して小笠原蔵相はどういう責任感を持つているか。

戸叶武

1952-12-22 第15回国会 参議院 予算委員会 第17号

池田君の貯蓄公債に否定的な考えに立つておられるとすれば、いよいよ以て石橋財政生産公債には更に否定的であるべきはずだ、こういうふうに私は考えられるのであります。私がここでくだくだいろいろ申上げるよりは、過去の予算委員会における審議を通じて十分お考えになつておることだと思いますが、来年度生産増強のために相当の仕事をしなければならん状態になつておる。

堀木鎌三

1952-12-03 第15回国会 衆議院 建設委員会 第5号

これは選挙対策かもしれませんけれども、すでに池田さんが大蔵大臣の時分に、貯蓄公債というのか、石橋財政といろいろ問題のあつた意見を出されたのでありますが、とにかく三年数箇月大蔵大臣をやられた人が、貯蓄公債をやつても決してインフレにならないというようなことを言われた。これは御本人にとつて相当確信ある御意見だと思います。

舘林三喜男

1951-11-05 第12回国会 衆議院 予算委員会 第13号

生産上つておるから通貨の量がふえてもよろしい、これは石橋財政考え方と同じになるのです。それと違つた方向で来ておるのが池田財政だ。どうも今の話を聞くと、何か対蹠的な立場にあつた石橋湛山財政考え方と大体同じようなことになつちまう。どこに池田大蔵大臣の特色があるのだか、その面においてはちよつと見当のつかないような御答弁を承つて、まことに奇異に感じておる。

川島金次

1951-03-10 第10回国会 参議院 予算委員会 第24号

私どもは曾つていつか木村君からお尋ねがありましてお答えいたしましたが、石橋財政当時において、やはりインフレ生産増強によつて対処すべきだという議論が出ましたが、不幸にしてあのときは事志違つて生産増強のために必要資金を出しましたが、原材料その他の関係において意のごとく生産が進まなかつた。

周東英雄

1951-03-03 第10回国会 参議院 予算委員会 第18号

決して石橋財政が間違つておるとは思わない。但しあの当時私はその構想はよかつたけれども、生産増強をすればいいといつて金をばらばら出したけれども、それに伴つて増強をなすべき原材料なり、設備の拡張ができずに、出した船が外へ流れたということがインフレを激化したのであつて石橋さんの趣旨とは違つた形になつて来ておると思う。

周東英雄

1951-02-26 第10回国会 衆議院 予算委員会 第22号

遠くは高橋財政しかり、近くは石橋財政によつてインフレ恐るるに足らずと豪語したことは、世人なお耳に新たなるところであります。しかるに、主税官たる池田勇人君が大蔵大臣に就任し、またドツジ氏が来朝するに及びまして、安定第一主義の名のもとに、国民生活生産復興とを犠牲に供して、ひたすら通貨の安定のために、国をあげて奉仕して来たのであります。

西村榮一

1950-05-01 第7回国会 衆議院 本会議 第46号

これすなわち政府が強行しつつあるデフレ政策の結果であつて、さきに第一次吉田内閣石橋財政において、インフレ政策を実施しつつ、ケインズ学説を歪曲、引用してインフレを否定し、遂にインフレ破局的状態に導いたりてあり、現在の第三次吉田内閣池田財政は、デフレ政策を強行しながら、ドツジ・ラインに藉口してデフレを否定しているのである。

三宅正一

1949-12-22 第7回国会 参議院 大蔵・人事連合委員会 第2号

そうすれば緩漫なるインフレ政策になる、石橋財政ということが言われておりますが、私共責任の地位がないので、非常に申上げにくいのですが、こういうことになれば非常に楽なのですが、これでは毎月々々毎年毎年賃金が上つて購買力は大して上らない、結局同じごとだといつたような公務員、一般産業労働者諸君の嘆きは絶えず続く、結局足取を合せて産業再建という巖を一応樹立しなければならん。

増田甲子七

1949-11-26 第6回国会 衆議院 本会議 第17号

拍手)そのときの大蔵大臣説明によりますると、わが国産業復興をはかるために通貨の一千億円や二千億が増発されても、生産が上りさえすれば国民経済は安定するのであるから、通貨増発はあえて恐るるに足らぬという石橋財政の勢いをもつて、野党の反対を押し切つて復興金融金庫は設立せられたのであります。ところが吉田内閣は、その反対のことを現在述べられておる。  

西村榮一

1949-11-24 第6回国会 衆議院 予算委員会 第9号

與党の出身である予算委員長矢野委員長が、当時国会において、石橋財政インフレの波のために沈んでしまうと與党委員長反対の口吻を漏らしたのであります。それをなお押し切つて石橋のあのインフレ財政をやらせた。ところが今日今において総理大臣は、当時の石橋大蔵大臣の下におられた次官であつた池田さんを大蔵大臣にすえられ、今回はまた非常に極端とも思われる均衡財政をおとりになつておられます。

奧村又十郎

1949-04-18 第5回国会 参議院 経済安定委員会 第7号

只今の大臣の御説明も一向我々に感銘するものが何らありませんで、もう少し中小工業の問題につきましては、経済安定本部も力を入れて頂きたいと思いますが、併しそれというのも、結局長い間の放慢政策をアメリカ政府から引締められるというような事態にぶつかつて、このこと自体は実は終戰直後東久邇宮内閣、それから石橋財政以來の放慢財政責任であるとこう考えておりますが、併し何と言つても現在の事態に追いつめられましたのは

帆足計

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